皆さん、こんばんは。
AIを駆使する事務代行、和田博です。
今日は30年近く前に若くして亡くなった父について話したいと思います。
皆さんは、「1日を悔いなく過ごしなさい」「1日1日を大切に生きなさい」といった言葉を耳にしたことがありますでしょうか?
先生や人生の先輩、あるいは自己啓発書などに書かれていることも多いかと思います。
このメッセージの趣旨は、ぼんやりと生きていると5年10年なんてあっという間に過ぎてしまい、年を取ってから「あの時、もっとやっておけばよかった」と後悔することになるというものです。
私は、意外とこの言葉を実践できている方だと思います。
その理由は、冒頭で話した父が、私がまだ20代前半、就職して5年目の時に急に亡くなったからです。
その日は、朝、通勤中に母から「お父さんが庭で倒れた」という電話がかかってきました。
すぐに病院へ向かったのですが、私が着いた時には既に息はなく、ただ死亡確認をするだけの状態でした。
父は、定年を迎えたばかりの64歳でした。
これから好きなことをしよう、旅行に行こうと考えていた矢先の出来事です。
父は、倒れた直後に意識を失ったため、「もっとこうしておけばよかった」と後悔する時間はなかったと思います。
しかし、残された家族として私たちは、その死によって強烈に「死」を意識するようになりました。
それ以来、私は「もし明日自分が死んでも後悔しないように生きよう」と決意しました。
それまでは、20代ということもあり、死は遠い話で、自分にはまだまだ関係のないことだと思っていました。
時間はたっぷりあると信じていたのです。
しかし、父の死をきっかけに「生きること」について深く考えるようになりました。
それからというもの、私は人生の選択を迫られるたびに「もし明日死んでも後悔しないだろうか?」と自問するようになりました。
仮に長生きして、例えば100歳まで生きたとしても、あの時もっとこうしておけばよかったと後悔しないような選択を心がけています。
だからといって、毎日が素晴らしいわけではありません。
私はまだ起業して間もないですし、結果も十分に出ているとは言えません。
それでも、行動の基準として「後悔しないかどうか」を常に意識して生きています。
たとえ結果が思わしくなくても、その行動に悔いがないかどうかが重要なのです。
例えば、何もしないでぼんやりと過ごす日があったとしても、その時間が「休息の時間」として意識的に取ったものなら、後悔はしません。
そういった心持ちに変わりました。
もう私は50代半ばなので、どれだけ長く生きられるかは分かりません。
もしかしたら、突然命が尽きるかもしれません。
それでも、毎日を後悔しないように生きたいと思っています。
スティーブ・ジョブズも同じようなことを言っていましたよね。
「もし今日が人生最後の日だったら、あなたは今日やろうとしていることを本当にしたいと思いますか?」というような内容だった気がします。
今日は少し暗い話になってしまいましたが、日頃からこんなことを考えながら生きているという話でした。
最後まで読んでありがとうございました。